静岡県の秘境地帯にたたずむ小俣集落(おまたしゅうらく)に行ってみたので、どんなルートだったのか今現在の様子をリアルに伝えてみたいと思います。
小俣集落は、静岡県浜松市天竜区でも山の中の更に山奥にはいった山岳地帯に位置している超秘境廃集落。その地名にもなっている「小俣京丸」は、石切川上流で分岐している京丸川流域に京丸集落、小俣川流域に小俣集落と秘境地帯に2つの集落から名づけられていて、何故こんな山奥に集落が出来たのか?起源は色々な説がある中、今現在でも謎が多いことでも知られている場所。
京丸集落藤原家の記事
京丸川沿いに小俣集落に繋がる山道がある!?
そんな今回の小俣集落探索、実は京丸集落藤原家に訪れた時にマップで見る限りそこまで離れてなかったことから、1日で2箇所の集落を回ってみるつもりが、想像以上の秘境地帯にあり1日では到底無理と断念!上の画像は京丸集落の京丸川沿い林道で見つけた吊橋、方向的には小俣集落に通じてそうだったものの、看板などの方向を示す物が一切なく、山道がどうなっているのか不明だった為、危険と判断。
後日ネットで調べた小俣集落のルートは、石切集落側ルートと岩岳山(岩嶽山)に上る登山側ルートがあるようで、ハイキング登山をかねての岩岳山ルートで訪れています。
小俣集落の位置について
小俣集落の場所は、静岡県浜松市天竜区春野町小俣京丸でも小俣川から少し登った場所に存在していて、航空写真で見ると崖崩れが起きている場所のすぐ下付近。マップのポイント位置を+拡大してみると家の屋根が土砂で埋まっているのが確認でき、この先土砂崩れが進めば集落すらなくなる可能性が高い地帯。
幻の集落になる前に一目みたい!
集落の位置的には完全に山の中、気軽に行ける場所でないのもマップを見ただけで分かり、本当にこんなアクセスしにくい場所に人が住んでいたのか?どんな生活をしていたのか、秘境の中でも最強クラスの京丸集落同様に行くだけで困難な小俣集落。
岩岳山登山者用駐車スペース
場所 | 静岡県浜松市天竜区春野町石切 |
スペース | 車6台くらい駐車可能 |
その他 | 林道沿いに駐車看板あり
アクセスは過酷な林道から |
春野町小俣京丸に位置する小俣集落までは、マップのポイント位置の岩岳山駐車スペースから徒歩でしかいけない場所。林道沿いにある駐車スペースは国道362・473号の分岐地点から約20分ほど車で登るとあり、目印としてはペンション?のような建物付近。
林道から駐車スペースまでアクセス
春野町の街中から繋がる国道362・473号をひたすら道なりに進むと林道に繋がる分岐(春野町川上付近)があるので、曲がって林道に突入。林道は木や石が落ちているものの、京丸ゲートまでの道のりよりも全然走りやすく、車線がないほぼアスファルト道路(一部砂利)。ただ一つ言えることは、新車や高級車、大事にしている車で行くと木の枝でボディを傷つける可能性が高く、徐行程度で進んでも神経を使う道です。
林道を20分くらい登った先に分岐地点、左側に進むと右側に建物が見えその手前に岩岳山登山者用の駐車スペース。右側は岩岳山への登山ルート、ゲートまで通行可能ですが荒れた道なことから普通の車では脱輪する可能性大!
【駐車スペースの様子】
昔は簡易トイレがあったようですが、今現在は小屋だけのスペース。先人の車がとまっていたのでナンバーを見ると驚いたことに関東ナンバー!岩岳山はガチの登山者には意外と知られている場所かもしれません。
ここで忘れ物がないよう装備を整え、アキレス腱を重点的に準備運動をしてから登山開始!
小俣集落までの道のり岩岳山コース
画像の右側の道が国道362号に繋がっている林道、真っ直ぐ進むと岩岳山に繋がる登山ルート。小俣集落までは各ポイントがあり、それぞれの主要ポイントまでの時間はこんな感じです。
小俣集落までの時間
- 駐車スペースからゲートまで約10分
- ゲートから京丸アカヤシオ群生地まで約1時間
- 群生地から小俣集落まで約20分
行き約1時間55分(休憩15分含む)
帰り約1時間半(休憩5分含む)
「登山に自信のない方は入山をご遠慮ください」の看板を超えて少し行くと車が進入できないゲートに到着。案内看板によるとこの道は小俣林道と呼ばれているらしく、ゲートを起点ポイントとして進むにつれ0.5キロ間隔の看板が出てくるので、何キロ進んだのか確認できます。
ちなみにゲートを越えた辺りに携帯が使える看板があり、ドコモの電波状況はアンテナ1つで回線速度は出ませんが、ネットもいちようこの辺だけ使える状況。事前にキャリアのエリアを調べた時は、小俣京丸周辺は電波がないエリア外だっただけに謎でした。
登山道コースとなっている小俣林道は、緩やかな下りの車一台通れる砂利道。今現在も国有林地帯につき木々の作業をしているようで、道中には分岐ポイントもありますが、岩岳山の案内看板もあり比較的歩きやすい体感。
ゲートから何キロ地点か示す看板は0.5キロ間隔で設置。
ゲートから約30分くらい歩くと突然道が開けて山岳地帯を一望できる絶景ポイント有り。ここは杉の木を広範囲に伐採したらしく、目的地の小俣集落のだいたいの位置(赤色矢印ポイント)が把握できます。小俣集落の特徴としては、土砂崩れ現場の下付近、風景ロケーションだけ見てもかなり山奥なのが伺えます。
手前には各携帯キャリアが使える看板設置!実際ドコモ電波は一本の状況で、回線速度はかなり遅いもののネットも利用できました。
林道を歩いていて見つけた標識。昔はここを車が通っていたと想像でき、警笛鳴らせの標識は、通常の道路では見れないレア要素もあり、令和現在ではこういう林道だけでしか残っていないかもしれません。車教習所の教本で見た現物がここに!
道中の林道ではグーグルマップのGPS位置も狂うことなく順調そのもの、休憩スポットに決めていた「京丸アカヤシオ群生地」まであと少しの距離。
その京丸アカヤシオ群生地ポイントの手前には左に行ける道があり、事前に調べたネット情報ではその道は途中で崩落しているとの事。念のため見に行ってみると昔は小俣集落まで車が通れた道は今現在も崩落状態。川側から斜面側どちらも歩けない状況。
京丸アカヤシオ群生地ポイント
ゲートから約1時間3.5キロ地点のマップに表示されている京丸アカヤシオ群生地ポイントに到着。ここは休憩ができる東屋、トイレを完備している開けている場所。
案内看板を見るとどうやら実際のアカヤシオ群生地はさらに先にあるようで、駐車場の絵も書いてあることから、昔は車で観光スポットとして人々が訪れていたのが伺えます。こういう文字が消えかけた看板を見ると人々が消えた観光スポットのイメージが強く、どことなく寂しい印象。
ここで初めて休憩タイム。道のりとしては緩い下りの林道な為、それほど疲れもなく体力はほぼフル満タン状態。全体の風景を見ていると、小さな神社のような祠があったので、お賽銭を入れ無事に帰れるようお参りしてから出発。
ここからはゆういつの小俣集落に繋がる林道が崩壊している為、別ルートから進む必要がありプレハブ横からアクセス。
人ひとりがなんとか通れる急斜面を降りる道は険しい登山道、100mくらい足場が悪い場所を降りると崩落した林道に繋がっていました。
小俣川を渡る橋。林道に戻っても今まで歩いてきた道とはあきらかに違っていて、何十年も車が通っていない為か、岩がゴロゴロ木の枝だけでなくそのまま木が倒れている箇所もちらほらの林道状況。
橋を超えた辺りから小俣集落までは登り坂が続いていて、マップポイント位置の諏訪神社付近が集落の場所。今までスムーズに行っていただけに難所の存在は大きく、2箇所ほど戸惑う場所有り。
その最大の難所がここ!林道は大きく崩れているので20mくらい少しアクセスルートを変える必要があり、最大の難所を越えれば集落は目の前に出現。
小俣集落の様子
小俣集落のはじめの家を見た瞬間は、本当にこんな秘境地帯にあった!と感動に変わり、ゆういつ車が通れる林道ができる昭和までどうやって家を建てていたのか、暮らしについても疑問そのもの。
集落は家々が立ち並ぶ横だけ木々がなく、道のように開けている状況。
生活感が伝わるアイテムも比較的多く、カマドでご飯をたいていた時代でとまったままの空間は、集落としての役目を終えているのを実感。
木々と一帯化した自転車。集落自体はそこまで広範囲ではないので、歩き移動が主流となっていたと予想でき、自転車は林道の上り下りにつかっていたと考えると街中まで行くのも相当困難なのが伺えます。
集落に現存している家年数は、ネットで調べても答えはでてきませんでしたが、大正昭和初期くらいのイメージ。建っている家の仕様はどこも母屋の横に納屋が配置、昔ながらの日本家屋そのまんまの光景はどこか斬新。
所々で見かける絵になる大瓶。これ以外と廃集落でよく見かける光景で、無造作に捨てられているお酒の瓶が自然と一帯化して美しくも見えます。
小俣集落の中心地にたたずむ役目を終えたショベルカー。この辺一帯で起きた土砂などを取り除いていた重機と予想でき、秘境地帯だけに重要な役割。
そしてグーグルマップの航空写真で見れる屋根が土砂で埋もれている家。集落の中ではひときわ大きな家で、規模的にも昔は代表的な村長のような人が住んでいたかもしれません。ここの家だけ意外な発見有り。
1件だけ鬼瓦に文字
屋根のテッペン鬼瓦部分に「大」の文字。これが何を意味しているのか調べても謎でしたが、家の規模といい集落の起源を含んでいる?代々受けつがれている家系なのは伝わりました。
母屋の横の納屋のような建物の屋根瓦には「水」の文字。京丸集落藤原家の瓦にもあった水文字ですが、火事を防ぐおまじないのような意味を示していて、明治時代以降に主流となった日本家屋のシンボル的なマーク。
この瓦の水文字については、他の廃集落の家でも見たことがあり、静岡県の小俣京丸地域だけではない全国規模の文字瓦です。
周辺を散策している中でもひときわ現在感があった東芝のスポットクーラー。他のアイテムとはあきらかに年代が違っているように見えますが、昭和中期以降もここで暮らしていた事を考えるとあってもおかしくないアイテム。
石切小学校小俣分校
大規模土砂崩れ現場から少し上った先にあった石切小学校小俣分校。
建物のすぐ近くの石碑には、「昭和41年3月閉校・学制百年記念」の文字、昭和48年3月に設置。昭和40年代に林道が開通したことを考えると、その時期が集落の人達の分岐点イメージ。
校舎となるのは1件の建物だけで、中は土砂が流入しているものの、当時学校だったことを示す黒板や机など意外と現状は維持している印象。建物自体はかなり古いように見えますが、建物の基礎土台や梁が丈夫な為か現存しているのは驚きで、他の家々も倒壊していないのを見ると、屋根に重量となる瓦を使っていない家屋だからこそかもしれません。
斜面に家が建っている場所には石垣が特徴的、昔は家が建っていた跡もあり、水洗い場や湯のみの食器などそこで暮らしていたのを残ったアイテムから想像することも、こういう場所の良さ。
一番奥にあった斜面にたたずむ家は木が倒れ崩壊寸前、月日が立つにつれ自然と一帯化する様子は廃墟というよりも人が暮らした証があります。
こんな感じで探索した所、小俣集落の現在は家が4件、小学校1件と少し崩落気味なものの、まだ建物は現存している状況、この先崩落現場が広がればいずれ見れなくなる場所です。
小俣集落に行った感想まとめ
今回は伝説の秘境地帯にある小俣京丸の廃集落の1つ「小俣集落」に行ってみましたが、秘境地帯と呼ばれているのも相当山の中に位置しているからで、暮らしていた人達の痕跡から色々イメージすると、林道が出来る前は何をするにも大変だったのが伺えました。小俣集落も京丸集落同様に、場所の条件としては水となる川の近く、火の元となる木々が生活立地条件にも感じ、昭和からは電化製品が使えたとアイテムから想像できますが、その前の明治大正はどんな生活をしていたのか思いを馳せる場所でした。
本当にあった幻の小俣集落まとめ
- ルートは主に2つ
- 岩岳山ルートで片道約1時間40分
- 付近に観光スポットがあった
- 昭和から電気が来ていた
- 崩落現場は広範囲
- 家1件だけ瓦文字有り
- 昔は車が通れた
- 集落はスマホ電波なし
小俣集落をまとめるとこんな感じで、集落の起源と最後の住人がいつまで住んでいたのかはわからないものの、不便さから人が離れていったと想像でき、現在社会が発展するほど、秘境地帯の集落は今後消えていきそうです。その幻になっていく集落!落ちているアイテムや自然と一帯化した建物から当時の生活を想像できるのが良さでもあり、月日が立つにつれて状況が一変していく様子はどことなく悲しい気持ちにもなりますね。