長篠設楽原の戦いの場所と歴史資料館の見所を解説!3段撃ちはなかった説?

徳川家康ゆかりの地巡りとしてはじまった三河長篠城跡、実際に訪れると徳川家康がこの三河領を武田軍に取られまいと奮闘していたことが伺え、その三河の地でも年表には必ず刻まれている「長篠設楽原の戦い」があった場所に訪れてみました。

長篠設楽原の戦いとは?

徳川家康と織田信長が連合を組んで武田勝頼と戦った「長篠設楽原の戦い」は、三河山間部の徳川領長篠城を武田軍が攻めたのがはじまりで、織田軍30000+徳川軍8000の連合に対して武田軍15000が現在の新城市連吾川周辺で戦った歴史に残る合戦の一つ。その合戦内容は、決戦場の屏風にも書かれているように、戦国時代最強と呼ばれた武田軍の騎馬隊を織田徳川連合が火縄銃3000丁を使って武田軍を打ち破ったとされ、合戦があった場所付近には今でも各武将が築いた陣の跡など歴史スポットが多数存在しています。

記事では長篠設楽原の戦いがあった合戦場所の様子と展示物が見れる設楽原歴史資料館の見所を解説してみるので、これから徳川家康ゆかりの地巡りをする際は参考にしてみてください。

NHK大河ドラマ「どうする家康」を見て歴史に目覚めた徳川家康巡りの順は、①長篠城跡と保存館②鳥居強右衛門の磔場③長篠設楽原の合戦場と資料館の時系列順で訪れていて、順番に訪れるとより一層学べる体感です。

設楽原歴史資料館の場所詳細

場所 愛知県新城市竹広字信玄原552
入館料 個人

大人330円 小中100円

団体(20人以上)

大人220円 小中50円

両館共通券

大人440円 小中150円

※長篠城址史跡保存館とセットがお得

その他 駐車場無料

館内トイレ完備

冊子など販売

資料館から合戦場までは歩いて3分

マップの位置は、設楽原歴史資料館の駐車場場所を示していて、資料館のアクセスは、国道151号の「設楽原歴史資料館南」信号交差点を曲がり道なりに進むと看板が出てくるので、指示通りに進むと第1駐車場。初めて訪れてもわかりやすく、最寄インターでもある新東名高速道路「新城IC」に比較的近いため、遠方からでも訪れやすい印象です。

入館料は長篠城址敷地内にある保存館とセットの券を購入すると少しお得なので、両館訪れる場合は有りですが、最初に長篠城跡に行ったほうが時系列順としてわかりやすくおすすめ!

【第1駐車場の様子】

駐車場は資料館すぐ隣の第1駐車場に約30台、道路の手前に第2駐車場を完備。訪れている人の車ナンバーを見ると、ほとんどが愛知県内ナンバーではあるものの、一部関東方面や静岡方面など、まだNHK大河ドラマ「どうする家康」で長篠城・長篠設楽原の戦いの回が出ていないにも関わらず、次から次に来る状況でした。

資料館入り口には記念撮影用のパネルを設置、合戦の地だけに織田徳川兵の火縄銃と武田兵それぞれが馬防柵の前で映る様子はここならでは!館内入ってすぐ右側が受付で券を買う渡す仕様。

設楽原歴史資料館の様子は、これから訪れ人の為にも一部だけ掲載して見所を紹介。

館内は撮影禁止の表示ケース以外は基本的に撮影OKですが、条件があるので注意!

設楽原歴史資料館の見所

【新城市設楽原歴史資料館の展示資料から】

館内は右と左で別れていて、左側からがルート。右側すぐにトイレ完備。エントランス的な場所には、徳川家康公との屏風前で写真を取るパネルも完備していて、建物的にはこちらの資料館のほうが大きく、展示物も多い印象です。

【新城市設楽原歴史資料館の展示資料から】

館内の展示物コーナーは主に2箇所。①の展示ケースは長篠設楽原の戦いと火縄銃のコーナー、メインは海外製を含めた火縄銃の数々が見所ですが、鉄砲がどこから来たのか歴史について学ぶこともでき、何故か今川家の書状もあったりと興味を引く物が数々並んでいます。

②の展示ケースは、江戸時代の外交官岩瀬忠震が何をしたかなどのブースが目を引き、その他には3段打ちの謎に迫る実際に4つの撃ち方をした検証結果の文章もあるので、謎の鍵を解くには必見かもしれません。

【新城市設楽原歴史資料館の展示資料から】

近年の「3段撃ちはなかった説」

長篠設楽原の戦いで織田徳川軍の戦法として有名な火縄銃の三段撃ちは、一般的に縦3列に並んで一人目が撃ったら次の人に代わっていく火縄銃ならではの撃ちかたの方法で、いかに時間のロスを減らし撃ち続けるかを追求した際の戦法。それが近年では3段撃ちはなかった説が出ている!?オレ的に検証結果の文章を見て思ったことは、火薬や玉をこめて準備する時間の事を考えると、縦3人ではなく5人くらい必要ではないかと想像していて、実際はどうだったのか謎は深まるばかりです。

【新城市設楽原歴史資料館の展示資料から】

長篠設楽原の戦いは、決戦場の絵を見るとわかるように、連吾川を挟んだ戦い!特徴としては、織田徳川軍が武田軍の騎馬隊を防ぐ為の馬防柵を設置して前進に火縄銃の戦法、対する武田軍は騎馬隊で突進していく戦法が特徴的。実際は武田軍も火縄銃を使っていたようなので、主な特徴を表現したようにも見えます。

資料館2階の様子

資料館の2階はエレベーターを使うと行くことができ、陣を置いた場所を示す看板もあるので、景色を見ながら当時を想像するのも有りです。

歴史資料館の見所

【新城市設楽原歴史資料館の展示資料から】

  • 火縄銃の種類の多さ
  • 今川氏真の書状
  • 甲冑一式
  • 歴史資料文章
  • 3段撃ちの検証文章

設楽原歴史資料館の見所は、なんと言っても火縄銃の種類の多さ(画像の火縄銃はほんの一部)が見所となっていて、日本最古の火縄銃「信玄砲」をはじめ海外製の見たこともない形状をした火縄銃など、ここならではの展示物が盛りだくさん。館内も広々としているため、大河ドラマ徳川家康ブームで観光客が多くても十分見れる体感です。

展示物を見ていて気になったのは、長篠城跡の保存館には槍が複数あったものの、何故かここには刀や槍が一本もなかったので、刀目当てで行くと少し物足りないかもしれませんが、その分を火縄銃が補っているようにも見えました。

資料館の見所はこんな感じ、続きはWEBではなく、現地の資料館で!

長篠設楽原の戦い場所

そして資料館のあとは長篠設楽原の戦いがあった場所!資料館から歩いて3分くらいの距離なのでせっかくここまで来たならいく事をおすすめします。特徴としては武田軍の騎馬隊を防いだ馬防柵が復元されているので、景色とともに見るとどういう場所での戦いだったのかイメージ可能。

決戦の地となった連吾川付近。資料館に訪れた人のほとんどが見た後に現場に歩いて訪れていました。

入り口の目印は設楽原合戦屏風絵

騎馬隊を防いだ馬防柵だけでなく、地形を利用した鉄砲構えも復元。

長篠の戦いと言うと、織田徳川軍の火縄銃の飛び道具に対して武田軍の騎馬隊の接近戦というイメージが強いですが、地形風景と馬防柵を見ながら当時を想像するとどちらが有利だったのかわかり、おびき出されるようにこの地で戦った武田軍は、数の少なさだけでなく戦法も1つの敗北要因だったようにも見えます。

決戦屏風の絵だけでなく、やはり現場に行くとより一層色々なことが発見できます。

長篠の戦い場所と資料館まとめ感想

徳川家康が三河領土を守る為に戦った歴史的にも有名な長篠設楽原の決戦場所と歴史資料館に行った感想は、訪れるまではそこで織田徳川と武田が戦った場所だけのその地で何があったのか背景までは知らなかったのが正直な感想で、武田軍が長篠城を攻めていた後に豊橋市の吉田城も攻撃したなど、主要な戦いだけでなく歴史的に色々と学べたのが良かったのひとこと。また戦国時代に戦いがそこら中で行われていたことを考えると、今現在がいかに平和かも知るきっかけになりました。

資料館については、火縄銃がメインで見所的には豊富!入館料も保存館とセットならリーズナブルな価格の為、徳川家康ゆかりの地として新城市に訪れるなら長篠城跡とここは必見の場所です。

またNHK大河ドラマ「どうする家康」の長篠城・長篠設楽原の戦いの回が終わって歴史的スポットとして訪れる際は、他にもそれぞれの武将が陣をきづいた場所が新城市には多数あるので、資料館と合わせて回ってみてはどうでしょうか。

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