長篠城址と保存館はどんな場所なのか?見所をふくめて徹底解説

徳川家康が参戦した歴史的に有名な戦いの1つ「長篠設楽原の戦い」、その発端となったのが長篠城を武田信玄の息子、武田勝頼が攻めたのがはじまりとなっていて、徳川側の城主・奥平定昌率いる500の軍勢に対して武田軍15000の圧倒的な数で攻めたことでも知られている山城。

その長篠城は、元々今川氏が支配していた三河の領で、義元が桶狭間の戦いで討たれてからは、武田と徳川が三河拠点のひとつとして取ったり取られたりの争奪戦を繰り広げ、武田信玄が死去後に徳川側が奪還、城主として奥平定昌がおさめていました。

記事では長篠城址がどんな場所なのか?歴史や展示物を見ることが出来る保存館の見所などを解説してみるので、これから訪れる人は参考にしてみてください。

長篠城跡「保存館」の場所詳細

場所 愛知県新城市長篠市場22番地付近
駐車場 普通車約40台

大型バス2台

駐車場無料

その他 長篠城址史跡保存館は有料施設

城址見学は無料

自販機・トイレ完備

コインロッカー有り

春は桜花見スポットとして有り

長篠城址のアクセスは、奥三河のメイン道路国道151号線沿いに位置していて看板が目印、車以外も可能で、JR飯田線「長篠城駅」から歩いていくことも可能。

歴史観光スポットになっている長篠城址!見所としては城址があった場所だけでなく、敷地内の有料施設「長篠城址史跡保存館」では、資料や当時の戦いの道具など見ることもできるので、最初に資料館で見学してから城址に行くとより一層当時の様子を想像することができます。

【国道151号のアクセスポイント】

道路を曲がるポイントは「鳥居強右衛門(とりいすねえもん)」の看板が目印。オレ的には奥三河地方に行く道中で良く見ていた看板で、てっきり何か悪い事をした事から磔(はりつけ)の刑にされ、悪い事をするとこうなるよというキッズ向け抑止効果を狙ったものだと冷ややかな目で見ていましたが、この人物が長篠城の戦いの際にかなり重要な役割を果たしていて、「現代版走れメロス」とも呼ばれている奥平定昌の家臣。

駐車場の様子

151号を曲がって道なりに進むとよく整備された駐車場。一見訪れている観光客の数は少ないようにも見えますが、次々と個人で訪れている観光客がいる状況で、まだ大河ドラマ「どうする家康」で長篠設楽原の戦いの回は出ていなかったものの、城巡りツアー観光バスで訪れている団体客もいるほど人気スポット!それだけ長篠設楽原の戦いは歴史的にも残る戦いだったのがよくうかがえました。

駐車場すぐ隣にある長篠城址史跡保存館、城址だけに立派な建物。春の桜シーズンにはソメイヨシノが咲いていて、城址らしい抜群のロケーション。

そしてここからが本題の保存館や城址の見所紹介!ただ長篠城址史跡保存館は、個人で楽しむぶんには写真撮影は可能(一部展示ケースだけ撮影禁止)ですが、博物館や資料館と同様にインターネットやSNSなどに撮影した写真をアップすることは禁止事項となっているので、内部だけは文字で見所を解説。

長篠城址史跡保存館の見所

料金 個人観覧券

一般220円 小中学生100円

団体20人以上

一般170円 小中学生50円

設楽原歴史資料館とセット

一般440円 小中学生150円

団体20人以上セット

一般330円 小中学生80円

※未就学キッズは無料

時間 午前9時~午後17時
休館日 火曜日(火曜祝日の場合、翌平日)

年末年始

長篠城址史跡保存館の料金詳細はこんな感じで、歴史展示物を観覧できるスポットとしては意外とリーズナブルな料金体制!もし設楽原歴史資料館とのセット券を購入して、もう1つの資料館に時間が足りなく当日いけない場合は、後日以降でも券は有効可能。

城巡りをしている人の日本百名城スタンプはコインロッカー隣に完備。コインロッカーは長篠城らしく鳥居強右衛門デザイン。

保存館の施設建物は、1階がトイレ、イスなどの休憩場所。階段を登った2階入り口に入館料を払う受付の構成で、資料館的には少し展示品が少ないようにも見えますが、展示物は年代不明から当時物の400年以上前の物が現存していたりと驚かされる内容。

保存館の見所

  • 鎧兜セット
  • 火縄銃の種類
  • 火縄銃の玉の種類
  • 槍の種類
  • 文字を書く際のすずり
  • 数々の年表や文章

見所としてはこんな所、展示物にはそれぞれどう使われたかなど詳細に書かれていて、年表や文章もそれをアシストする感じ!特に長篠城での攻防戦で使われた火縄銃は奥平軍200丁、武田軍500丁と銃撃戦のような展開もあったようで、火縄銃に使われていた玉の種類は銅や鉛など400年以上前にそんな加工技術があったことにも驚かされました。また武将が着る鎧兜だけでなく、ゲームで言うモブキャラのような身分が低い兵が着る防具もあるので、どれだけ差があるか防御力の観点から見比べるといいかもしれません。槍に関しては、自分が想像していたよりも長く色々な種類があり、接近戦でなければ刀よりも有利な印象を強く受けました。

オレ的には主要な歴史しか知らなかったこともあり、色々と勉強させられる事が多かった長篠城址史跡保存館の内容!長篠城の城主奥平定昌氏は、徳川家康の娘(亀姫)と結婚して新城城を構築など知れば知るほど出世した人物というのが良くわかり、徳川家康の結婚相手瀬名の運命も年表に記載されている為、ここは文字をよく読むとより一層知識を得ることができる見所豊富な施設。

続きはWEBではなく現地の保存館で!

長篠城址の見所

長篠城址史跡保存館で一通りの知識を得てから次に向かったのが長篠城址、今現在は主郭があった場所は平坦な芝生広場のようになっていますが、所々に当時の様子が残っている状況。その当時の中でも一番わかりやすいのが堀と土塁(どるい)で、観光で訪れるなら周遊するとそれぞれのポイントに説明が書かれていて、当時の様子を想像することができます。

長篠城は奥三河の山間地にある山城、特徴としては豊川と宇連川が合流する場所に位置するため、川方面からは攻めれないのが分かり、長篠城の戦いで奥平勢500に対して武田勢が四方八方から15000で取り囲んでいるのに城落できなかったのは、この地形をうまく使った城だからこそかもしれません。色んな山城を巡ると分かるのが、川の地形を利用していること!ただ城というと立派な2段構えの建物のイメージですが、パンプレットなどを見ると小屋がいくつもあるような集落という感じなことから、城を奪うと言うよりもこの領域が欲しいという印象。

入り口となるのは櫓(やぐら)台跡などの様子から城門のような砦はおそらく国道151号線側にあったとイメージできます。上の概要図は、黄色の囲いが保存館の位置、青色囲いが駐車場を示していて、赤色のコースが周遊散策、何故か訪れている人すべて時計回りでした。

【一番分かりやすい堀と土塁の様子】

【土塁の上から主郭の様子】

宇連川側には飯田線の電車がすぐそばに通る様子から、歴史スポットと現代のコラボ!向こう岸までは目視で約100m以上離れていて、泳いで渡ってきても50mくらいの崖を登ることから、武田勢が川側から攻めるにはかなり不利なのがわかります。

看板には酒井忠次の事が記載!鳥居強右衛門が活躍したおかげでなんとか耐え忍んだ長篠城の戦い(援軍を呼んだ後)では、武田勢が川側それぞれの山に陣をしいていたのを、後の豊橋市の吉田城主・酒井忠次(どうする家康ではエビすくいの人)率いる部隊が急襲して砦を落としたとされ、徳川家康に仕える武将の1人徳川四天王はただ近くにいるだけじゃない実力派。

そして豊川側の向こう岸は鳥居強右衛門が磔にされた場所。100m以上は離れているものの、目視で石碑が見えることから当時長篠城から見えたと想像できます。

こんな感じで長篠城址地も保存館同様に見所が豊富な場所となっていて、保存館と合わせても時間は1時間ちょっとあれば十分回ることが可能。また新城市には他にも関連スポットが付近に多数あるため、時間に余裕をもって計画を立てて行くとスムーズな印象です。

大河ドラマブームはだてじゃない!

長篠城は観光バスツアーも来るほど人気スポットに!これはNHK大河ドラマがどれほど観光に影響するのか良くわかる光景、どうする家康で長篠城設楽原の戦いの回がきたら駐車場や来場者数はどうなるのか?まだ放送されてない現在でもかなりの人数だったので気になりますね。

長篠城址と保存館を見たまとめ

長篠城に行くまでは長篠設楽原で徳川勢と武田勢が戦った場所としてだけの知識しかなかったオレ的には、この城がどんな展開から戦に発展したのかよくわかり、当時どんな武器を使っていたのかリアルに体感することもできました。とにかく書いてあることを読むとその当時起きたことが時系列で理解でき、展示物を見ながら想像をめぐらせるとより一層歴史について学べる場所だと思うので、大河ドラマ「どうする家康」を見て徳川家康ゆかりの地巡りや歴史スポットとして訪れてみてはどうでしょうか。

次の記事では、現代版走れメロスと呼ばれている「鳥居強右衛門」が磔にされた場所とどういう重要な役割を果たしたのか解説してみるので、長篠城の関連スポット巡りをする際は参考にしてみてください。

今回の徳川家康巡りでは、新城市にあるそれぞれのポイントに訪れていて、長篠設楽原の戦いとして訪れた順番は①長篠城址②鳥居強右衛門磔ポイント③設楽原の戦い場所の順で、時系列順に訪れています。
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク